DOUBLEHEAD For HARLEY-DAVIDSON Customize


History

1947年
第2次世界大戦後の混乱も収まり、ハーレーダビットソンも徐々にではあるがモータースポーツの世界で活躍を見せる様となり、アメリカンNO.1バイクへの道を走りはじめた頃、マサチューセッツ州スプリングフィールドの小さな納屋で「ダブルヘッド」は産声を上げた。
スプリングフィールドと言えば、当時ハーレーと人気を二分していたもう一つのバイクメーカー「インディアン社」のおひざ元であったが、反骨精神旺盛なヘンリー・ミラーとハロルド・テイラーは敢えてライバル社であったハーレーをチョイス。
技術者として勤めていた兵器工場で養った確かな金属加工技術を元に、2人は独自の理論と技術に基づいて軍事用ハーレーを改造したレーシングバイクを作り上げていった。
2人はそのハーレーで当時から人気のある東海岸のレースに出場し、連戦連勝の圧倒的な性能を見せつけ、回りのレーサー達を驚かせたのであった。この2人の作り上げたハーレーの高い信頼性、耐久性が噂となり、他のハーレーオーナーも次々と「ダブルヘッド」のガレージへとバイクを持ち込み、レース仕様へと改造を行っていった。そして地元のレースでは、「ダブルヘッド」が手掛けたハーレーでなければ勝利はおろか、上位入賞も不可能となっていた。同時に「ダブルヘッド」の名は、ハーレーのレース活動に於いて無くてはならない存在となった。
その後、レースでの評判を聞きつけた一般ユーザーから市販車用のパーツを望む声が高くなり、1957年、スポーツスター向けに「ダブルヘッド」初となる市販車向けカスタムパーツを開発。
その中でもマフラーは圧倒的な性能とその独特なサウンドで、当時ハーレーフリークの間で瞬く間に評判となり注文が殺到。
「ダブルヘッド」は小さなガレージで1本1本手作りでの生産であったため、納品まで半年から1年待ちが当たり前の状況となったが、注文したオーナーの間では「待っている事がステイタス」となる程の人気となる。その後も約12年間に渡り、自分たちの納得した物だけを製作するガレージチューナーとして手腕を振るうが、1969年ハーレー社がAMF傘下となった事をきっかけに一切の業務をストップ。
「AMF傘下のハーレーはハーレーでは無い」というヘンリーの言葉を最後に伝説のメーカーとして封印されてしまった。
マニアの間では「ダブルヘッド」の復活を望む声が高かったが、その後ハーレーがAMFグループから脱却を図った後も「ダブルヘッド」の復活はならず・・・
いつしか伝説のメーカーとして語り継がれるようになった。
そして・・・2009年伝説のブランド「ダブルヘッド」は40年の時を経てついにここに復活!

(c)2009 DOUBLEHEAD